こらブログ

げんきにとびだそっ(╹◡╹ ๑三二 ピンクのハクリューが好きでVTuberをしているこらるさんのブログだよ。

私がポケモン実況者をやめたワケ

みなさん、こんにちは。

ポケモンが大好きでバーチャルポケモントレーナーとして、VTuberになったこらるです。

私は2009年から2011年くらいまで、ニコニコ動画で第4世代のポケモン実況者として活動していた時期があり、その後10年くらい活動をやめて失踪しておりました。

紆余曲折あり、現在はVTuberとして戻ってきたのですが、2009年から早い段階で5000人弱の登録者(当時のネット人口で考えるとYouTubeの登録数の10倍程度の規模かと思われます)になったのにも関わらず、どうしてポケモン実況や配信をやめたのか、当時の自分の思いを書き起こして整理しておきたいと思いました。また、引退してしまったことを後悔していた気持ちもあり、これから前に進むために筆を取りました。

今はポケモン実況者として配信に復帰しておりますので、今の界隈にネガティブな印象は全くありません。

過去のこともあり、普段の配信と雰囲気が異なるかもしれません。長くなってしまうので、興味がある方だけ読んでいただけたら嬉しいです。1番下にまとめがあるので、それだけ読んでいただいても大丈夫です。

配信を始めるまで

まず、私のポケモン歴は初代の赤から始まり、対戦に興味を持ったのはDSのダイヤモンド・パールからです。

当時は孵化作業やめざパ厳選など、1人で1PT作るのに数ヶ月以上かかる厳選難易度でした。

また、今のようにランダム対戦やマッチングバトルという要素がなく、PTを作っても誰かと対戦するのが難しい状況でした。

掲示板などを使い、対戦相手を探すのが当時はメジャーで、私は攻略サイトを見ながらいつかは誰かと対戦したいと思いながら、孵化作業をする毎日でした。

そんな中、ニコニコ動画という動画サイトを見つけます。

その中で、ポケモンバトルレボリューション(以下バトレボと記載します)という、ポケモンのランダム対戦ができる唯一Wiiのソフトの存在を知り、そのバトレボの対戦動画を見るのが、勉強の疲れを癒す手段となっていました。

当時はライデンさんの動画をよく見ていました。

その頃に、ゲーム実況の先駆けとなるゲーム画面に実況をつけた動画が次々と投稿されはじめました。

その後、バトレボの対戦動画に声を当てて、解説や実況をするバトレボ実況動画というものが投稿され始めます。

私にVTuberなることをすすめてくれた木立さん、最近ポケモンをまた始めてくれたまふろさん、特殊型ニョロボンが印象的なシナモンさんの実況をよく見ていました。

またその時期には、ゲーム実況の動画投稿者がある程度人気を得ると、Ustreamやしたらばなど、他の配信サイトでよく配信する光景も見られ、ゲーム実況界隈は配信でも賑わっていました。

そんな中、ニコニコ動画からニコニコ生放送(以下ニコ生と記載します)というサービスがスタートします。

当時の私はあなごみさんや、やまもとさんの外部配信をよく見ていたのですが、ニコニコ生放送というサービスが始まったのを知り、自分もとりあえずコミュニティを作ってみることにしました。(今で言うYouTubeのチャンネルのようなものです)

その後とある有名実況者さんが、何故か私の一度も配信をしていないコミュニティに参加してくれたのをきっかけに、バトレボ生主杯という大会に参加し、ほぼ初配信をすることになります。(2009年10月)

主催者と準決勝か準々決勝で当たったことがきっかけで、登録者が200-300人増えて(同時の人口的に、今でいう登録者2000人くらい?)そこから定期的にバトレボの配信をすることになりました。 また、幸運なことにバトレボの実況者大会にもお誘いいただき、動画投稿もすることになりました。

YouTubeでたくさんの方がゲーム実況やVTuberを始めているように、たくさんの方がニコニコでコミュニティを開設し、配信を始め、ニコ生主としてデビューしていきました。

その中で、ポケモンをやっているニコ生主のことはポケモン生主と呼ばれて、2chで専用のスレッドが立ったり、ポケモン生主相関図ができたり、本当にたくさんの方がポケモンの配信をしていました。バトレボの配信はキャプチャーボードが必要なこともあり、当時は敷居が高めだったようですが、WebカメラがあればDSの画面を簡単に映せることから、あっという間にニコ生でポケモンの配信をする人が増えました。

私も当時は孵化作業が大変だったので、孵化余りが交換できる知り合いができて嬉しかったですし、対戦をする知り合いが増えて、とても楽しいポケモンライフを送ることができました。学校ではポケモンの対戦をやっているお友達がいなかったので、初めて沢山のポケモンのお友達ができて感動したのを覚えています。ネット上のポケモンサークルのようでした。

さて、そんな楽しいポケモン生主ライフですが、ずっと続くわけではありませんでした。 ポケモン生主がたくさん増えてくれば、いろいろな人が増えて、問題もたくさん起こりました。

当時のニコニコポケモン界隈の問題点

私が把握しているのは2013年ごろくらいまでになります。それ以降についてはここの記載内容と違う可能性があります。

改造生主が何人も現れる

ろこでんきくん、しょうちゅうドリュウズ、竜舞ガブ、ヤミラミ3、ありえない技を覚えているポケモンetc…

ポケモン生主の出会い厨化

私はポケモンを通じて知り合うことは否定しません。私にも生主時代に知り合い、12年以上の付き合いになる友達がたくさんいます。生主同士で結婚した知り合いもおり、家族ぐるみで今も仲良くしている方々もいます。誠実な付き合いをするのは問題ないと考えています。

ただ、当時は生主という立場を利用し、異性を取っ替え引っ替えしたり、大規模オフ会を開き飲み会に未成年が参加する、大手生主がリスナーを食い散らすなど、あまりにも生主の出会いによるいざこざが多すぎました。

ポケモンを出会いのツールとして利用していると考えられても、しかたない界隈になっていたと思います。

炎上生主や過激なリスナーによる荒らし

ニコニコの文化なのかもしれませんが、人が増えるほどコメントが荒れるようになっていきました。とくに、ポケモン生主界隈では配信者のAAや顔文字がたくさん作られ、関係ない配信に連投が見られたり、過剰な煽りコメント、他の人が炎上すればその炎上について大手の配信で伝書鳩行為としてコメントされるなどです。(これは今でもありますね)

現在のYouTubeにはブロック機能があるのですが、ニコ生では184という匿名の書き込みが可能で、ブロックをしたとしても何日かでIDが変わりリセットされる仕組みがありました。そのためブロックしてもまた1週間後には同じ状況になります。匿名性が強いため、配信者は悪意のあるコメントに触れる機会が多い環境でした。

配信を始めて、経験が未熟なうちにコミュニティが大きくなってしまったため、コメントを制御することが難しくなり、スルーをしてみたり、煽りコメに負けないように強気なコメントをしたりといろいろやってみましたが、自分のやりたい初期の配信の雰囲気に戻すことは難しくなってしまいました。これは私の立ち回りが未熟な部分もあったと思います。

配信による生主の私生活の歪み

配信は楽しいので、中には私生活を削って配信に打ち込む方もいました。学校では特に目立たない私が、自分を中心に発信していける環境は新しい世界だったので、とても楽しかったです。今日はどんなポケモンを使って対戦しよう?どんな企画をしたら皆さんに楽しんでもらえるかな?と考えることが増え、もともとポケモンの育成や型を考えるのにも時間を使っていたので、配信を始めたら配信が中心の生活になってしまいました。ポケモン生主は学生が多かったので、単位が取れない、留年するなどの状況に陥る人も現れました。私も私生活と配信が切り離せなくなり、悩んでいた時期もありました。特に責任を感じたのは、私の配信を見ていた身近な人に学業や私生活の問題が出てしまったことでした。

当時は今と違い、ゲーム実況はグレーで、配信者は権利者に目を瞑ってもらい使用させてもらっていた立場でした。

ポケモンの改造も、ポケモン生主の問題行動も、ポケモンのイメージを下げる行動で、私はポケモンの楽しさをいろんな人に共有したいと思い配信を始めたので、大好きなポケモンのイメージが損なわれる界隈に、徐々に嫌気がさしていきました。もちろん、今仲良くさせていただいている方々もたくさんおり、すべてがそうではありません。しかし、いろいろな生主の私生活に悪影響が出始めた時、反面教師となり、界隈からは離れた方がいいかな?と思い始めました。当時はポケモン生主と聞くだけでネガティブなイメージを持つ方もいたようです。

ポケモンの対戦環境の変化

またその時期に、私がポケモンの配信を楽しめなくなる環境の変化もありました。

第4世代から第5世代に移行したポケモンには、レーティングバトルが搭載され、対戦環境がバトレボからDSが中心に変更になった点です。

バトレボが対戦環境ではなくなった

バトレボが第5世代にはなかったため、配信中に大画面で生き生きと動くポケモンを見ることができなくなりました。育てたポケモンバトレボで活躍させるのが楽しみの一つでした。また実況のテンポの良さも好きでした。DSの画面を配信するより見栄えもよく、それが配信の楽しみになっていました。それが当時の最前線の対戦環境できなくなってしまったことで、モチベーションが低下しました。

レーティングバトルで切断

切断が横行しており、モラルに欠けるプレイヤーがいたことでモチベーションが低下しました。

環境が変わり、第4世代と違い色々なポケモンが活躍する機会が減った

私のプレイスタイルは勝つよりも、色々なポケモンを活躍させて視聴者を楽しませたいというスタイルでした。どんなポケモンも、育て方や技構成で活躍できる可能性があるところがポケモンの好きなところなのですが、レーティングバトルでは同じポケモンしか見なくなってしまいました。これは現環境でも起こっていることですが、当時の私にはとても大きな変更でした。今は仲間大会など、より楽しめる機能が増えています。私はピンク色統一などで、好きなポケモンを使うことと勝つことのバランスを取りながら楽しむスタイルに落ち着きました。

配信者としての将来

時間がないとポケモンの厳選や対戦が困難

配信を始めた当初よりも自由な時間がなくなり、当時の厳選はとても時間がかかるため、ポケモンに時間を割くことが難しくなりました。マッチ売り(仕事)もしなければいけません。時間が限られ、 配信と両立するためには他のものを犠牲にしなければならない状況でした。また環境が変わったことで、人を楽しませる配信がずっとできるか、時間がない中で最前線の環境を追うことができるか?という懸念がありました。

配信や動画投稿で収益を得たり、仕事にすることができない時代だった

当時は今と違い、収益化プログラムなどは存在せず、ゲーム実況や配信で食べていくことは考えられませんでした。また、マッチ売りをしていると社会人としての自覚も強くなり、とくにコンプライアンスを意識するようになりました。当時はグレーだったゲーム実況を、会社の看板を背負ってそのまま続けることはできませんでした。

女性配信者としての寿命

私の人気は界隈の女性が少ないだけで、一過性のものであると考えていました。また、女性配信者は年齢とともに人気が獲得できなくなるのでは?と考えていました。そのため、ポケモントレーナーではなくマッチ売り(仕事)に力を入れて、マッチ売りの合間に個人的にポケモンを楽しむのが良いと判断しました。

まとめ

私がポケモン実況者をやめたのは以下の理由です。

  • 一部のポケモン生主の素行の悪さによる界隈のイメージダウン
  • 過激なコメントが制御できずやりたい配信が出来ない
  • 自分自身や身近な人の私生活への悪影響
  • 環境が変わったことでのポケモンのモチベーションダウン
  • ポケモンの厳選や配信を中心にできない私生活の変化
  • 配信で食べていくことができない時代だった
  • 女性配信者には寿命あると考えていた

なんだかネガティブよりな話になってしまったのですが、ポケモンは初代からずっと大好きで遊んでいます。

また、配信をしていたことに後悔はなく、私の人生の糧になっています。10年以上の付き合いになる一生の友達が何人もできました。

やめた原因の中には、私が私生活と活動を両立できず未熟だった部分もありました。

今ではニコニコからYouTubeに環境が変わり、ポケモンも進化して昔よりも対戦までのハードルも下がり、マッチ売りをしながらでも楽しめるようになりました。今のこの環境には大変満足しています。

10年も失踪していたのに配信に復帰しようと思ったきっかけや理由、VTuberになることを決めた理由なども、そのうちブログに書いていきたいと思います。

お読みいただきありがとうございました。

剣盾はポケモンバトレボみたいに3Dで動くし、育成も簡単になってて最高なので、みんなポケモンやろう(๑╹◡╹๑)たのしいぞ

おわり